辛かったけど頑張った看護師資格試験
看護師試験を受ける一ヶ月前のこと、遠方に住む母親から泣きながら電話がかかってきました。父親が癌で、余命半年であることを聞かされ、パニックになりました。友だと彼氏に支えられ、励まされ、何とか試験勉強を頑張りました。でも、勉強しながらも頭の中は父のことでいっぱいで、勉強が手につかなかったり、急に涙が止まらなくなったり、夜も寝づらかったり、本当に辛かったです。無事看護師試験には合格しましが、あの時私を支えてくれたみんなに感謝しています。
掲載:2015/2 Written By ta-ka 30代 女性
体験・経験の時期: 2001年2~3月頃
一流企業に就職できたのは!
私は獣医の父を持ち、常々自分の後を継ぐか本当の医者になることを強要されてきました。そんな自分ですから、父の言うことが自然に嫌になり、結果学校(高校)も満足に通うこともしませんでした。今はその父も居らず、自分が父親になって子供の成長をどんなに楽しみにしていたか、やっと分かったきがします。また親というものは、子供に対して、その将来も心配してしまうのだなぁとつくづく思います。話が脱線していまいますね!元に戻ります。私は結局登校日数が足らず、3年生をもう一度やらないといけないといわれた時、学校を止めてしまいました、父とも話しをまともにできない状態でしたので、家にもい辛くなり、親戚の家に厄介になることにしました。17歳でした、それからなにをするでもなく、ごろごろしてすごしました、当然厄介になっている親戚の叔父にも心配をかけてしまったのです。果たして私は、何で変われたのでしょう、それは、毎月父から、親戚の叔父に対して7万というお金が支払われていたことを知ったからです。父は私には何も言わず、叔父に私の生活費や雑費をわたしていたのです。気持ちがとても切なくなりました、泣きました。馬鹿・馬鹿・自分のことばかり考えていたことを心から恥じました。それから一生懸命勉強しました、高校はでなくても、大学に入れる資格をとり、大学に入りました。ただ父が望んでいた獣医や、医者にはなれませんでした(能力が足りません)が!機械や電気について一生懸命学び4年間を過ごしました。教授からも院に行かないか?と誘われましたが、早く世間にでて働き、出世し父を安心させてやりたかたので就職をえらびました。その会社は全国、いえ世界にその名を轟かす有名会社です。その当時の社長のフィロソフィーに「もうだめだ、と、思ったときが仕事の始まり」とありました。人生諦めたらそこで試合終了です。あの時の父の無言の行為が、私をこの一流企業に入社させる、起爆剤となったことは言うまでもありません。そしてこの会社を立ち上げた社長もまちがいなく、決して諦めない人だと感じました。今人として、親として、夫して一生懸命ですが他界した父には、自慢の息子ではなかったです。それがなにより辛いです、この拙い文書を読まれる方、今の自分を一度振り返ってみて欲しいと思います。そして今を感じて・考えてください!
掲載:2015/2 Written By みやさん
50代 男性
体験・経験の時期: 1978年~1985年頃の話です。
自分で交渉し、上司と働き方を決めた職場
看護師をしています。一人目の子供が成長し、病院ではなく一般企業で働いてみようと面接を受け内定をもらっていたとき、その前に面接を受けた事がある病院から採用したいと毎日電話があり、条件が内定先よりよいということで説得され結局病院に就職しました。時期調整のため最初の1ヶ月はパート、4月から正社員という条件でしたが、入ってみると4月からもパートだと。その頃から上司との戦いが始まり、パートの件に関しては話し合い最初に約束した通り4月から正社員にしていただきました。病院に入社する条件にある資格を取らせてほしいということを入れました。それもうやむやにされ、結局一年後に考えると。その前に能力を見せてもらいたいからと全外来の仕事を覚えてもらうと短期間で移動し、仕事を覚えることになりました。とても大きな病院だったのでそのうちクレーム対応など上司の仕事も回ってくるようになりました。一年後にはその資格ではない資格を取ってほしいと言われました。私がとりたかった資格はまた一年後と。その話の三ヶ月後病棟の主任候補であがるように言われました。入社の時病棟勤務はしないことも条件だったので、そこは話が違うとまた上司と何日間も話合いました。その時いた部署に残れる事になったのですが、私の変わりに別な人間が移動になることに。そのときあなたみたいに上司に意志を伝え話し合いができる人はいない、うらやましいと言われました。他のスタッフは言われるままに移動していると。そのあとも難題が毎月上司から降りてきて、それなりに対応していたのですが、二人目を妊娠しました。あっさりと辞めてください、自主的にと言われました。その理由として最初とりたい資格があると言ってた私のために、今は色々な研修を行っていたと思ってほしい。でもその研修中にそれを継続できない状況をあなたはつくったと。その上司はもともと助産婦で出世し部長になっていた方。一番出産の喜びをわかるはずなのにこのような発言にもう夢はないなと感じて退職を承諾しました。それを受けた条件に産休一日目まで働かせてくださいと言いました。産後出産手当てをもらうためです。すっきりしない辞め方でしたが、いま思うと色んな経験ができてかなり自分が成長したので今となれば良かったと思っています。
掲載:2015/2 Written By くるる 40代 女性
体験・経験の時期: 2008年から2010年頃
27歳での転職 医療事務の仕事
転職し医療事務の仕事が見つかりました。医療事務の経験や資格がなかったため看護助手から頑張ってくださいと言われ2年ほど看護助手をしました。しかし、医療事務の希望者が多く結局看護学校に通うことになりました。今となっては資格がらとれてよかったと思います。看護師になる予定などいっさいなかったのですが何も資格がなかったときは就職も厳しい感じでしたが今では看護師の免許を使うと就職に困ることはありません。でもまた今、違う仕事をしたいと思っています。なので資格をとるため密かに勉強中です。
掲載:2015/2 Written By あや 40代 女性
体験・経験の時期: 1995年頃の4月頃です。
私の転職体験 保健師
保健師の仕事をしていましたが、人間関係が難しかったことと、嘱託職員だったのでお給料にも満足できず転職しました。転職先は家から歩いて通える距離にある個人クリニックにしました。個人クリニックなので、看護業務以外のこともたくさん任せられましたが、一般企業に就職したらこんなもんだろうと楽しんでいました。カウンセリングの勉強をしたり、サプリメント外来といって、サプリメントで身体の栄養素を整えて体調改善をしましょう~といった、自費診療に関してもたくさん仕事をしました。総合病院や市役所では経験できない『商売』っ気を感じることができ、私は楽しかったですが、やはりそれに疑問や不満を抱く職員も多かったように思います。転職はしてみないと、その仕事の現状は分かりません。でも、どこでも、『まあ!一回チャレンジしてみるか!』ぐらいの心意気があれば大概の仕事はこなせると思います。もちろん、事前の院内見学は必至です。職場の雰囲気からして危なそうなところは行けばすぐに分かるので…。
By まぐろかん 30代 女性 平成20年6月~の転職経験談です。
正看護師の資格習得を活かして
看護師を目指している皆様は、日々国家試験の勉強に苦労されているかと思います。年々傾向も変わってきていて戸惑うかもしれませんが、看護学校卒業と同時に資格獲得をしなければ、翌年などトライしても働き始めると教科書の基礎と働く現場の実際は違いますので年々合格率も低下します。ですから、大変かもしれませんが現役合格を目指して頑張っていただきたいです。実際、私は資格獲得し4年程働きました。現在は、離職中ですが看護師はナースバンクなど手厚い転職サービスも多いのでそちらで今は新しい職場を相談しながら探している最中です。資格さえ取ってしまえば、転職する際のサポートも手厚いのでまずは資格獲得に専念していただきたいと思います。
そたじゅん(20代女性) 時期:2013年転職。電話により、見合う職場を紹介され、必ず見学するのが鉄則なので心配せず転職できました。
医療事務の資格取得を目指していた話。
学生生活を終え地元に帰ってきていざ就職活動をしようとしたときに「このままでは就職できないかもしれない」と本気で落ち込むほど数々の面接に落ちていました。こうなれば自分のスキルを上げるしかないと思いたち、当時ステータスだった医療事務の通信講座を受講することにしました。しかし、講座を修了していざ資格試験に挑むと見事に2回も不合格。元々計算は苦手だったのできっと自分には向いていないと悟り医療事務の資格取得は断念しました。スキルアップをするためにはただ周りに流されるのではなく自分自身を客観的に分析して得意なことや興味のあることに挑戦する必要があると思います。
By りゅうたん 30代 女性 2006年4月ごろ。
10年越しの夢、叶えました。看護師
看護師になる前から、ずっと小児科での勤務に憧れていました。卒業後は、アルバイト先の総合病院で1年間勤務し、その後、念願の子ども病院へ就職しました。しかし、思っていた以上に厳しく、挫折しました。その悔しさがあるからこそ、今の病院で頑張ろうと思うことができます。小児科では挫折しましたが、子どもは好きなので、今は、保育士資格取得を目指して勉強中で、ピアノも習いに行っています。子どもは好きなので、
By そら 30代 女性 2012年の11月頃
退職とその後の就職活動や生活について 病院勤務
新卒から6年間勤務した病院を昨年年度末に退職しました。その間に異動を経験し、私しかいない職種(医療系国家資格を持っています)を1人で担ってまいりました。代わりのいない状態で1年以上働き、休暇が取得しにくく、結婚もしていたので家庭との両立などいろいろと支障が出てくるようになりました。正職員として勤務していたため収入面での安定はありましたが、心身ともに崩れる前に退職をすることにしました。自分の中である程度決めていた人生プランもあったので自分なりに納得しての退職になりました。その後は失業保険をいただきながらハローワークでの職探しをしていました。しかしながら地域性による(持っている資格の)認知度や需要度の差もあるためか、まだ再就職ができずにいます。ただ、退職前の忙しさやストレスから解放され、専業主婦となりこれまでとは違う生活に非常に充実感を感じています。今となっては退職を決意するまでは、あれこれと自分の中で葛藤や家族の理解など問題もありましたが、決断したことに後悔はまったくありません。再就職の希望はあるので、引き続き職探しをしています。
By いわにゃん 20代 女性 2013年11月(退職を真剣に考え始めた時期)~現在
私の転職経験 病院勤務
私はスキルアップをするために、新しい職場に転職しました。病院で勤務していましたが、働いてるところは外来だけだったので、入院患者を受け入れていませんでした。なので、業務は主にカルテ作成と注射やレントゲンの準備だけでしたが、仕事としては楽でしたが、他の同期に比べてスキルの差が開くと思い、自分で考えたうえで、病棟に戻りより患者さんの近くでサポートする方ことに決めました。慣れ親しんだ職場から転職するのは勇気がいるけど、若いうちに色々経験しておこうと思いました。
おにぎり(20代女性)
時期:2013年