地方からのヘッドハンディング
東京生まれの東京育ち。ずっと東京で暮らしていた自分にとってまさか鹿児島県に移住して働くことになるとは夢にも思わなかった。東京では福祉用具専門相談員として9年間営業で働いていた。福祉業界の中ではまあまあの給料であったので、給料自体に特に不満はなかった。しかし会社の方向性が定まらないことには不満と不安を覚えていた。ヘッドハンティングの話が具体的にきたのは2013年1月末である。ヘッドハンティング元は親戚からである。建設業を経営しており2013年8月に従兄が社長に就任することが決まった。ぜひ鹿児島にきて従兄のサポートをしてほしいとの話だった。待遇は「役員扱い」ということだった。「役員」という言葉に飛びつき鹿児島に行くことにした。で、鹿児島の会社に移ったら待遇の話はまるっきり異なっていたし、地方の片田舎の給料は東京でいう大卒初任給の給料と大差ないことに驚きを隠せなかった。30半ばの独身男性にとってはつらい給料である。隣の芝生は青くみえるとよく聞くが、まさにこのことかあと痛感した。もっと親戚に詰めた確認をしておけばよかったと・・・。
By キヨ(30代 男性) 2013年7月。
長年勤めた会社
私は経理の専門学校を卒業したのち、会社の斡旋もあり、茨城県にあるメーカーに就職しました。最初は経理系の仕事でしたが、途中で購買や生産管理など、様々な仕事に携わって経験値を積むことができました。辛いこともたくさんありましたが、仕事が嫌だという理由で辞めたのでは、他の会社に就職しても長続きしません。石の上にも三年ということわざがありますが、まずは腰を据えて仕事に取り組むことで自分にとって有用なスキルが身に着くことも多いように思います。
By こたろう(20代 女性) 2014年ごろ
転職についての失敗談
過去に転職して失敗した経験がある。今から思うと、会社の責任だけではなく、自分のほうでもダメだったなと、思うことだ。あまり公にはできなのだが、取引先から引き抜きのような感じで声をかけてもらった。これはうれしいことだったけど、後腐れないようにするのは大変で、元の会社にもきちんと説明し、こういう事情で声をかけてもらったので、自分を試してみたい、というようなことを当時の上司に伝えた記憶がある。当時は元の会社を辞めることによっての引き継ぎばかり優先し、転職後の自分のことはあまり考えてなかった。いざ転職してみると、全然違うじゃん、という連発だ。まず給料が。年収で考えると大幅ダウン。まさかという感じだ。取引先だったために、自分もよく確認しなかったのも確かに悪い。あまりお金のことを言うのはイメージ悪いかなと思って。でも給料ってかなり大事なことだから、変に下に出ずに事前にきちんと確認すべきだと思った。
By kaz(30代 男性) 2010年頃
就職活動でつかみ取ったもの
初めての就職活動の面接は、3人1組で行われた。この日は集団面接であった。クリスマスもバレンタインも手探りで就職活動を行い、誕生日は1日合同説明会で過ごした。数打ちゃ当たる精神で100件はエントリーし、面接に応募したと話す友人の青白い顔を思い出しながら、面接前日にまとめた対策ノートに目を通した。試験前はこれを毎回必死で頭に叩き込むと友人が話していたからだ。しんとした待合室。 『もちろん地元就職なのだろうな。』 と、就職活動を行う前に電話で父親に言われた。頑張るよ、とだけ伝えて数カ月。コネ娘になるのはごめんだ。もちろんそのつもりだが、どうしても受けたくて1都2県で就職活動をスタートさせた。4月に桜が咲く地元とは異なり、試験会場の景観は緑に包まれていた。汗だくになりノートとにらめっこしている自分が馬鹿らしくなった。だから私はぱっと横を向いて声をかけた。 「暑くないですか、今日。なんだかさっきからひとりで手汗すごいんですよねー」 私が話しかけたのは新卒生にしてはすこし落ち着いた感じの男性だった。 「そうですね、最近お昼過ぎは暑くなってきましたね。朝晩との寒暖差はありますが」 「ああやっぱりそうなんですかー。今日埼玉から来たんですけど、こっちきてなんかあっついなって思いました。」 「埼玉からですか」 「地元は群馬なんですけどねー」気が緩むとどんどん訛る。馬鹿丸出しである。 「お疲れ様です。面接頑張りましょうね」 「ありがとうございますー。面接、今日が初めてなんですよ。私算数できないのになんで面接これたのかなって。」 私はへらっとした顔で笑って言った。と同時に、待合室が開き、初めての集団面接が始まった。意気揚々と面接室に向かった。 問題は、日常的な事、趣味や特技、社会人になってからの夢や目標と、比較的答えやすい質問が多かった。隣のお兄さんが東京大学の院生だったと分かった時は、というよりも私以外有名な大学の人だったので魂が抜けそうになった。この面接どうしようか。場違いにも程がある。試験管が平等に接してくれていることが面白かった。なぜ田舎娘丸出しの私を面接に読んだのか、それさえ知れればもう帰りたい。 だけど私は決めたのだ。だから挑戦しようと決めた。自慢できることと言えば回し蹴りとホームステイ経験とおべんちゃらだけなのだ。どうやらにこやかに応対をしてくれる面接官と、圧迫面接を行う人が分かれているようで、真ん中の席の方だけが終始怖い印象だった。 面接はあっという間に進んでいった。 「最後に、就職後叶えたい事をなんでもいいので話して下さい。」 「学部生の時から交際している女性と結婚し、幸せな家庭を築きたいと思います。」 「私は旅行に行くことが好きなので、温泉で心と体を綺麗にして、交際相手がいないので女子力を高めたいと思います。」 面接官がニヤッと笑った。圧迫面接の方の仏頂面が和らいでいくのを私は見た。目標達成。悔いはない。 大事なことは、自分を伝えることだ。等身大の自分を。暗記なんてしなくても、そこに気持ちがあれば、自分自身を理解していれば、その思いがすらすらと出てくる。少なくともベストを尽したのだ。それでいいじゃあないか。体の中に渦巻いていた黒い何かが、すうっと消えたような気がした。 初面接がここでよかった。馬鹿な私でもきっと忘れないだろう。雲ひとつない夕焼けを見上げながら、すがすがしい気持ちで会社を後にした。 後日この話を他学部の友人にした私は、何とも言えない憐れみと冷ややかな目で見られたのであった。 結局エントリーは120社、就職サイトは3ケ所使用したものの、教育実習のため前後に数十社辞退し、この会社の選考には進めなかった。集団面接を行ったのはこの会社だけであった。一般企業で働く際の希望職種のうち、最終面接を受けられた所が1社だけあった。奇跡的に志望業種のうちの第1希望の所であった。そんな訳で私は面接回数5回、あちらこちらでへらへらし、あれよあれよと6月には内定を頂いたのであった。 就職活動は、自分を見直すいい機会であったと思う。連日睡眠時間3時間の時もあり、金銭的にも精神的にもつらい日もあった。けれど、これほどまでに自分自身と向き合える時間は他にはなかっただろう。つかみ取るのはコミュニティの中に埋もれた自分自身だ。
掲載:2015/2 Written By 藤井恵理
20代 女性
体験・経験の時期: 2014年5月~6月
地方の転職活動は想像以上に大変
現在転職活動中です。首都圏で派遣で仕事を10年くらいしていましたが、家庭の事情で地方に戻ることを機に正社員として働けるよう転職活動を始めました。ほどなく一般事務員として採用されましたが、実情は事務員ではなく何の研修もないままどこかから持ってきた名簿に電話をかける電話営業が主な仕事でした。電話で少しでも良い反応のお客様には飛び込みで営業に行かされ、それがうまくいかない場合はお給料も出ないというありさまで辞めました。次も一般事務職として採用されましたが、ネットワークビジネスをやっていた会社で荒唐無稽な売り文句が怖くなり辞めました。その後も事務員として設備の会社に採用されました。その時は事務の仕事ではありましたが、素人が現場に連れて行かれて工事をしているような会社だったのでお客様からの苦情が多く、さらに営業の方は工事ができるかの確認もせず契約をしてきてしまうのでその対応で一日中電話が鳴りやまず、事務員は朝の8時半から夜8時勤務、しかも週休1日の状態でした。もちろん残業代は出ません。労働基準違反を隠すためタイムカードはなかったです。そんな状態だったので出入りは激しく、私も具合が悪くなり辞めました。現在また転職活動中ですが、こう何度も転職をしていると決まりません。問題のある会社であっても面接でその問題を言うわけにはいかないので「一身上の都合」としか言えません。就職が決まらないから少しでも役に立てばと簿記や宅建の資格を取りましたが、それも経験がないとあまり役には立たないようです。ハローワークの求人票はほぼ同じような企業で、前回転職活動をしていた会社と同じところがずっと載っています。履歴書を送り断られ、たまに面接に行っても断られとしていると、社会から見放されて様な気がして自分はなんてダメな人間だろうと涙が出ます。そんな風に暗くなると余計に面接でも印象が悪くなるのかうまくいきません。私はもう10年以上社会人として生きてきましたが、ずっと企業は真面目に運営されていて、そうでないところは労働局なり消費者庁なり都道府県庁が適正に対処するものだと思っていましたが、それらは個人ではなく企業の味方の場合が多いのだとこの数年で知りました。それでも悪い会社よりも良い会社の方が多いのだと信じます。悪い人より良い人の方が多いのだと信じます。少しでもこの経験を活かし、仕事が決まらない間に今まであまりしてこなかった分野の勉強もし、少しでも知識を身につけ、ここぞという会社に採用されるよう努力をすることで、何とか今自分をたもっています。
きょん(30代女性)
時期:2014年から