公共のサービス
ハローワークに限らず、公共のサービスや施設は、時間が経つとあるのが当たり前、開いてて当然のような感覚になってしまう。それが普通の市民、国民といえばそれまでなんだが。アメリカで、予算案が議会を通過できずに、政府の機関が閉鎖されているなんてニュースを聞くと、あらためて税金で運用されているんだという、当たり前の事実を思い出す。根回しが社会人の素養のひとつ(w)、国会に出される時には答えは決まっているぞなんていう日本では、予算が通らないなんてことは起こりにくいとは思う。しかしそれよりも、赤字財政で、身動きとれなくなるなんて可能性だって、かなり高くなってきているのも事実だろう。
ハローワークは必要か
今更言うまでもないかもしれないがハローワークは公共職業安定所だ。しかし失業保険の給付以外の事業の多くは、民間の紹介業が台頭してきている今日、民間に任せてもいんじゃないか、ハローワークの紹介という事業はいらないんじゃないかという議論もある。
率直にいって、「商品になりやすい人」にとっては、ハローワークはいらないかもしれない。
雇用保険の失業手当の支給は、アメリカのようにお休みになると困る人も多いだろうが
就職と人身売買
就職を人身売買と関連つけるのは、いささか不謹慎な喩えなのかもしれない。でも管理人は自分が再就職を目指すとき、どうすれば自分を買ってくれるだろうかと考えた。わかりやすい商品説明と、買うことのによって得られるメリットを応募書類にあらわそうと努めた。まあ職を探す側は、それくらいの気持ちで挑んでもいいんじゃないかな。雇用する側が、モノのつもりで求人するのは大問題だろうが。
商品としての魅力がない人は
民間の紹介業は、そもそも商品としての魅力のある人は、大歓迎だ。売ればお金になる。儲かる。でも商品としての魅力がない、仕入れても売れそうにない人は、相手にしてももらうのは難しいかもしれない。
幸いにハローワークは商売として運用されていない。気持ちの腐ったようなのは論外として、真面目にやってきて、商品としての自分の売り方をしらない、商品価値を高めることを考えてはこなかったけど、真面目に働く意志がある人には、ハローワークは貴重なサービスだと思う。