敗者と弱者
正直に書いておきますが、前職で会社都合の離職でハローワークや雇用保険、失業手当などを利用することになるまで、管理人は、ハローワークを利用すること、あるいはハローワークを利用する人に、ある種の蔑視をしていたと思います。要領よくやれないか、本人の努力が足りないか、いずれにしろ、社会的には敗者ではないかと思っていた一人でした。
それが、自分が会社都合の離職でハローワークに行って失業認定を受け、キャリアコンサルさんの話を真剣に聞いて、まじめに再就職を目指すことになったのですから、人生はわからないものです。
ハローワークの利用者の中には、雇用保険や訓練給付を不正受給とまでは言い切れなくても、グレーな受給や、倫理的に問題のあることをしている種類の人もいるのも事実でしょう。
また本人の性格や資質に問題があって、就職できないようなケースもあるのかもしれません。しかし、ハローワークを利用する人は、必ずしも、敗者、劣等者とは言い切れないように思えました。管理人は自分でも仕事を得るためにあがき続け、何とかしましたが、中には、社会的弱者というべきケースもあるんじゃないだろうかと、現状を見るにつけ思えてきました。
社会の損失
能力や才能、そして働けるだけの健康がある個人がいて、働く場所や機会がないとすれば、それは社会の損失というべきでしょう。
例えば子育て育児と、仕事を両立しようとする女性(最近は女性に限らないようですが)を、仕事がない、ハローワークを利用するからと、社会の敗者であるとはいえないように思います。
定年退職を迎えて会社を去ることは、けして珍しいことではありません。働く意思がない、悠々自適で趣味に暮らすと思う人もいるでしょうが、自分の経験や知識を生かして、何か社会の役に立ちたいと願う人が、その機会を得ることができないのも、残念な話でしょう。勿論、若い人の仕事を奪うような形でも、天下りのような既得権の話ではなく、年齢相応の経験がしっかり役に立つようであって欲しいと思います。
会社や企業、あるいは事業所に適応することだけが人生ではないとは思います。現役世代で、自分で成すべき仕事を見出せる人は、ハローワークではなくて、起業支援制度などを利用するばいいでしょうが、なかなかすべての人が起業できるわけではありませんし、社長だけで世の中は成立するわけではありません。労働者というのは、今の世の中に必要であることは間違いありません。
働く機会に恵まれぬ現役世代の問題を解決するには、両面からのアプローチが必要で、企業、会社、事業者に対しての法律や制度による、縛り、規制と助成、そして働く側が、企業に必要とされる能力、資質を身に着けていくことの支援です。本人に負うべきところは勿論大きいことですが、それだけではないように思います。企業は、労働者を都合よく使い捨てることもできないわけじゃない。そういった法のスキマを考えて行かねばならないでしょう。ハローワークや労働局が行っている事業は、そこに沿っているように思います。雇用保険、失業手当は、イザという時には、重要なセーフティ、ライフラインでしたが、それだけがハローワークの仕事とは言えないでしょう。
一方、失業者にしても、「働かなくても失業保険がもらえる」と思ってしまったら、もう抜け出ることはできないように思います。
成功者ならば
実際に仕事がなくて困窮している人が、「自分たちは社会の歪みの犠牲者である」「社会が悪い、政治が悪い」と主張するとしたら、それに耳を傾ける人は少ないように思います。管理人も自分がハローワークを利用している間は、国の施策、社会の有り様などに、文句言うとか批判するとかは、まったく考えませんでした。それはあまりに無様だと思えたのです。それまで、バリバリと仕事をしている間は、雇用問題とか失業対策とか、ニュースで聞いても他人事のように思って、何も発言もしていませんでしたし、何も行動に移していませんでした。それが自分がその立場になって、批判するのはあまりに見っともないように思いました。文句を言うならば、再就職するなりして生活の心配などがなくなってから、自分の経験を踏まえて発言するべきだ、と。
雇用や失業についての問題は、現実の切羽詰まった失業者ではなく、今、就業している人が、声をあげておくべきだと、自分がハローワークを利用した経験をもって初めて思いました。
勝ち組、負け組。あるいは強者と弱者。いずれしろ、それは今の世の中のルールの上での、勝者、強者でしかないように思います。今の世の中のルールなりシカケなりを洞察し行動して「勝った」ことは立派なことですが、同時にそれだけ、世の中の仕組みをうまく使って、よりたくさんの恩恵をうけているということも意味しているでしょう。累進課税で高い税金を払っているだけじゃ足りないのかもしれません。管理人は特に金持ちになったわけじゃありませんが、一応生活はできます。でも政治活動や市民運動は考えていません。
人はパンのみに生きるにあらずと言っても、パンは必要です。でも、パンを得る心配をそれほどしなくてよくなったときに、さらにステーキとワインをGETすることに熱意を燃やすのか、違う種類のものを得ることに取組むのかは、それぞれの選択じゃないかと思います。
職安の利用者は社会のゴミか?
失業してハローワークを利用することになって、自分が社会の脱落者であるように思ったり、ゴミであるように卑下してしまうかもしれません。管理人もそう感じました。しかし、ハローワークを使う運命や巡り合わせになったとしても、ゴミや脱落者になったわけじゃありません。厳しい状況の中で、頑張り続けるならば、それは、ゴミなどではなく、その意力と努力は、賞賛されるべきものだと思います。少なくとも管理人は、ハローワークを利用しているからといって、その人が努力し続ける限り、ダメな奴とは思いません。