ハローワークまっぷ

弁護士に依頼し、やっと手に入れた未払い賃金と退職金

弁護士に依頼し、やっと手に入れた未払い賃金と退職金。

大学を卒業後、あるスクールに正社員のインストラクターとして採用されました。その後スーパーバイザーというインストラクターを統括する管理職にまで登用されましたが、経営者が変わったことにより、その後の人生が暗転しました。同僚のスーパーバイザーが、新しく顧問として会社に関わることになった男性と個人的に親しくなり、疎まれた私は、彼らから、給料の遅延、私だけ定期代の支払いが後回しにされたり、名刺を作ってもらえない、暴言やいやがらせ等のパワーハラスメントを受けることになりました。ちょうど、会社の経営が悪くなったことに伴い、彼らは独立を画策していたのです。退職するのは忍びなかったですが、知人から弁護士を紹介してもらい、会社都合で退職しました。退職時に、未払い賃金といつ払われるかもわからない退職金をかかえていましたので、途方にくれましたが、弁護士の先生に励まされ、5年がかりで未払い賃金と退職金をこの手にしました。譲歩して分割払いを受け入れましたが、途中で入金が滞り、内容証明を送りつけたこともあります。まさか自分に、弁護士に依頼しないと解決できない労働問題が降りかかるとは、信じられない思いでした。その後は、派遣社員として、いろいろな会社で様々な仕事を経験することができ、それはそれで、人生とても良い経験になったと思っています。「井の中蛙、大海を知らず」ということわざがあります。思いもかけない退職でしたが、まさに、大海を知るという経験が得られたと思っています。
hiroshiro(50代女性)
時期:2003年4月から2008年3月まで。

予感はしていた失業

リーマンショックの影響で不景気になり、派遣切りや契約社員切りなどが問題になった頃に失業しました。でもある程度予感はしていました。工場勤務だったのですが、不景気の煽りを受けて仕事の量が一気に減り、残っている社員の分の仕事すら満足にありませんでした。そのうちに派遣だけではなく正社員切りも始まりました。私も雑用程度しか仕事が与えられず、毎日どうやって時間をつぶそうかと悩むような日々にうんざりしていました。そんな時、工場長から呼び出され、解雇通知書が渡されました。正社員切りが始まった頃からなんとなく予感はしていたので、驚くことも悲しむこともありませんでした。もともと私はこの仕事が好きではなかったし、いつか転職したいとも思っていたので、むしろいい機会だなと思いました。会社都合の解雇なので自分の責任じゃないし、未練もないので逆に清清しい気持ちになりました。転職には少し苦労しましたが、今は無事就職して楽しくやれています。
ミロ様(20代女性)
時期:2008年1月頃

失業中での就職活動について

私は数年前に早期退職をしたが、その後の就職先がなかなか見つからなかったのであるが、有る時銀行の雑役(庶務)の職についた。しかしその職場で足を痛めたため半年ほどでやめてしまった。その後1年ぐらいして緊急雇用で市役所に入庁したが、半年という期限のためそこを退職し、また1年ぐらいしてから緊急雇用で県庁に入庁したが、そこも3ケ月の期間のため退職となった。たまたた緊急雇用あったため何か月間か働けたが、年もとしであるためなかなか就職できないのであった。現在は就労支援の施設で訓練を兼ねながらの仕事をしているが、非正規の仕事でもとおもっているが、そう簡単にはみつからない。
宇都宮太郎(60代男性)
時期:1997年から2015年4月現在まで

仕事がなくて給料の支払いをしてもらえませんでした。

会社の業績が悪くなり、いつも給料が遅れるようになりました。そして、だんだんと人が辞めていきました。それでも、私は頑張って残っていました。でも、給料がでなくなってしまいました。交通費も出ません。社長に、少しでもいいので振り込んでくださいというと本当に給料の三分の一位払ってくれましたが、それ以上は払ってくれませんでした。それで、行くところがある人は、だんだんとみんな辞めていきました。給料を払ってもらえないのは少し辛かったです。
ピピン(40代女性) 時期:2007年ころ

金さえ払えば即解雇が可能!

労働基準法では、従業員を解雇する際は、少なくとも解雇の30日前に解雇予告をする必要がある旨、規定されています。そして、少なくとも平均賃金の30日以上を解雇する従業員へ支払わなければなりません。ここで、従業員に何の落ち度もなく使用者の一方的な考えで従業員を解雇できるのか?という問題に遭遇したとしましょう。答えは解雇予告手当を即払えば「できます」。あまりにも納得できなかったので労働基準監督署へ問い合わせました。不適切な表現ですが、使用者のための法律なのではと思ってしまうくらい、憤りを感じました。
モッティー(30代男性) 時期:2012年2月29日(うるう年だったのではっきりと覚えています)

聞きづらいことこそ。実際の給与

アルバイトとして勤めていた会社だったが、名刺も渡され営業もしていたのに、当時の状況から社員になることはできず転職をした。転職先では契約社員採用だったが、時給制は変わらず、単価としてはちょっとは良くなったけど残業がほとんどなく、手取りでは逆に少なくなってしまった。「社員」という言葉につられて入社してしまったけど、実際の給与はもっと事前に確認すべきだったと反省している。面接では聞きにくいことかもしれないけど、入社してから「こんなはずではなかった」ではお互い不幸になってしまうから。
kaz.(30代男性)
体験・経験の時期:2010年の10月

勤務先倒産の体験

入社して数か月で、勤務先が倒産しました。名前を言えばほとんどの人が聞いたことあるような有名な会社でした。入社前から経営はもう危なかったのでしょう、大学の教授からも「そこは辞めた方が…」と言われましたが、結果の出ないリクルート生活に疲れ、内定が出たところに決めてしまいました。倒産するくらいですから従業員へのお給料もままなりません。お客さんが途中で契約を解約しても、返すお金もありません。日々あいつぐクレーム、朝から晩までお客様に謝罪するために出社するような日々になり、悲惨な毎日でした。ある意味、会社の末期はこうなのかと目の当りにする、貴重な体験ともなりました。当たり前のことですが、やはり会社が健全な経営ができているのか、を見極める目は必要ですね。こういった目を養う意味でも、新聞チェックなど、アンテナを張っておくことは必要だと感じました。
By 破産後の弁護人経由で給料は8割ほど支給されました30代女性
時期:2007年ごろ