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年棒性だからといってサービス残業ばかりでした。IT業界

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年棒性だからといってサービス残業ばかりでした。IT業界

システム開発の仕事をしていましたが、システム開発は納品までの期日がきまっているので、その期日に間に合わせるために毎日終電のころまで残業をしていました。でも、給料は年棒性だからということでほとんどがサービス残業でした。また、そのシステムのリーダーだったこともあり、後輩の面倒も見ていました。サービス残業で大変でしたが、後輩を指導してなんとかシステムを仕上げて、お客様へ納品できたことはとても嬉しかったと思います。
コロチカ(40代女性) 時期:2007年頃

自分の価値を知りたかっただけなのに転職してしまった。IT業界

新卒で入った会社は従業員が50名以下の小さなソフトウェア開発の会社でした。仕事はとても忙しいながらもやりがいがあったので充実していたのですが年収はさほど上がりませんでした。社長と給与面の交渉をする際も、高くはないが安くもない筈だと言われ、また自分のスキルにも胸を張って言えるような事が無く、仕方なく日々の生活を送ってました。とある時に応援で来ていた派遣さんと給与面について雑談をしていたら「一度転職サイトに登録して、実際に面談を受けてみれば、客観的な自分の価値が分かるよ」と言われました。このままでは何も変わらないと思い、転職サイトに登録し実際に面接まで進みました。すると1社目で条件は年収で100万ほどUp、また即戦力が欲しいのですぐにでも来てくださいと言われとても驚きました。現職の引き継ぎがあったので2ヶ月後に転職したのですが、こんなに早く転機が訪れるとは思いもよりませんでした。あの時思い立ってすぐに行動を起こしたのがよかったと思います。
ブラックタイム(40代男性) 時期:2006年12月

転職は自信を持って IT業界

1度の転職を経験しました。その時の感想です。大学の卒業研究でコンピュータのプログラミングを覚えてから、ソフトウェアエンジニアが天職だと思い、就職もソフトウェア会社に決めました。5年ほど勤務しましたが、仕事の内容に不満があり、思い切って転職を決心しました。その頃の私は30代前半で、中堅社員氏としてバリバリやっていましたから、何処へ行っても食べていけると、妙な自信を持っていました。たぶん次の会社の面接でもその自信が溢れていたのだと思います。採用されました。その会社は今では大手電機会社にまで成長しています。今思えば、「仕事面白くない」⇒「転職」と、あまりにも単純な論理で前の職場を辞めてしまいましたが、これでよかったのだと思います。自分の可能性を信じて転職し、結果として、自分の能力を生かすことのできる職場で定年を迎えることができました。もし、転職を考えたのが諸々の生活基盤が整った40代だったら、こうはいかなかったでしょう。転職は、当り前ですが「自信」と「勇気」もって「勢い」をつけてやるべきだと思います
輝く遠江(60代男性) 時期:1985年の4月頃

焦って仕事を探すとろくな目に遭わない

もう10年以上前の話になります。当時私は20代前半で、転職のために急いで仕事を探し、都内にある小さなソフトウェアの開発会社に入りました。当時はまだブラック企業という概念もあまり知られておらず、サービス残業という言葉も浸透していないころだったかと思います。当時は学校でプログラミングの勉強はしていたものの実務経験は1年弱しかなく、戦力とはほど遠いものでしたが、その企業に運よく入ることができたなぁと思って入社しました。するといきなり社内のリーダを任され、まだ未経験の私を客先へいきなり放り込まれました。当然のことながら客先折衝もできず、仕様の取りまとめもうまくできないので開発フェーズに入っても進捗が全く上がらず、結果的に大炎上することとなりました。当初の納期は3か月だったのですが結果的に10か月かけてようやくそのプロジェクトは収束したのですが、勤務時間は平日は深夜まで土日も出社という悲惨な状態で収束まで持っていきました。残業は当然全くつかないので、すべてがサービス残業で長時間労働で給与が少ないという状態でした。ただ、短期間で転職を繰り返してはダメだという思いでその企業には4年くらい在籍しましたが、体調を崩してしまったのでやめてしまいました。技術的には大分成長できたのですがやはり焦って仕事を探すといい企業にはめぐり合わないのだなと思っています。
ブラックカラー(40代男性)
体験・経験の時期:1997年ごろ

職業訓練校での体験 androidアプリ科

会社を自己都合退職をし、次の職場を探していた所、androidアプリ科の職業訓練校の案内をHPで見つけました。元々、プログラマーの夢もあったこともあり、通うことにしました。同じ気持ちを持った仲間が11名います。その中で、アプリ制作関連の言語を学ぶ授業から、月1では就職支援と呼ばれる授業もあります。先生も凄く優しい方で、行く前に考えていた内容とは180度真逆な、楽しい毎日を送っています。知識も少しずつではありますが、増えています。卒業後はIT関連の仕事に就ければと考えています。
ファルコン(20代男性)
体験・経験の時期:今現在(2014年1月~)

面接での口約束は信用に値しない プログラマー

私はプログラマーで、2回の転職経験がありますが、労働条件はきちんと書面にて提示してもらうのをおすすめします。そう思う切っ掛けとなった体験談として、会社より提示された年収が交通費込みの額だったことや、「じゃんじゃん給料を上げてくから」などの口約束を信じて入社したことによります。書面で提示されていればそれを証拠に戦えますが、口頭だとそれを立証する術がありません。残念なことに不誠実な会社は存在するのでそんな会社に騙されないためにも労働者は賢くなるべきだと思いました。私の経験が誰かのためになるなら幸いです。
koban(30代男性)
体験・経験の時期:2013年2月頃

転職は在職中にすべし プログラマー

その当時、私はプログラマーをやっていて、帰宅は午前様、休日出勤もは当たり前の状態でした。こんな状態が数ヶ月続いていたことから、転職を決意しました。在職中に転職サイトへ登録し、スカウトメールがじゃんじゃん来ていたので、ゆっくり休んでからでも大丈夫そうだなと思ったのが間違いの始まりで、退職後にリーマンショックが起こり、求人は一気に無くなりました。求人を出していた会社はおろか、選考のプロセスに入っていた会社からも採用活動の見送りを告げられ人生で一番と言って良いくらい辛い日々でした。転職活動は、在職中に、自分の精神状態が落ち着いている状態でした方が良いと学びました。
koban(30代男性)
体験・経験の時期:2008年9月頃

福利厚生の重要性 IT業界

勤続10年を超えたころ、親の怪我・病気によりそれまではしていなかった家事をするようになりました。仕事と家事と。結婚はしていませんでしたが、突然の家事ストレスが発生した状態で、抑鬱になりました。仕事には替わりがいるけれど、家事をする人の変わりはいないので休職させてもらうことになりました。IT業界で、休職者も多い職場だったこともありますが、休職中なのに月1回は職場に行き、チェック作業等をしていました。傷病手当も出てくれたので、ゆっくり休めることができました。
白檀(40代女性)
体験・経験の時期:2005年~2006年の事です

転職活動中は、たくさんの人と話をするべき

新卒で勤めた会社が一年で倒産したため、就職活動をしなければいけなくなりました。4ヵ月後に再就職が決まったのですが、その会社は半年で自主退職することになりました。なぜそうなったかというと、失業期間が長引くことを焦り、肌に合わないと感じていた最初の会社の同業他社に再就職していたからです。文字に起こすと、単に自分の判断力がなかっただけに見えます。しかし、当時の心境を思い起こすと、不慮の事態(倒産)を前に完全に周りが見えなくなっていました。あの時、信頼できる人に就職活動や仕事のことを相談していればこのようなことにはならなかったかもしれません。私と同じ境遇にいる方は、ふさぎこんでしまいがちだとは思いますが、ぜひ色々な人に仕事のことを相談したり、話をしたりする機会をつくってほしいと思います。
ash100(30代女性)
体験・経験の時期:2007年4月~7月頃に就職活動をしました。

転職そしてカムバック

最初の会社が傾き、仕事に将来性を感じず、たまたま引き合いのあった会社に転職しました。ところが、最初の会社の文化を背負っていたせいなのか、転職先が特異な文化だったせいもあるのか馴染むことができず、半年で転職を決意しました。そのとき、最初の会社が募集しているのを見つけました。そこから、最初の会社に連絡を取りましたが、辞めた人間がカムバックした例がなく、会社内部では大きな議論があったようです。それでも、最初の会社でお世話になった方々がいろんな人を説得していただき、最後は、副社長、社長まで話がいって、戻って来いと言っていただきました。まだ会社は、傾いたままですが、それでも、その傾いたからこそできる仕事は、誰もが経験できることではなく、金銭的には厳しいものの、精神的には豊かな仕事ができていると思っています。
こーぎー(40代男性)
体験・経験の時期:2012年2月に転職し、2014年6月にカムバック