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同族企業に勤め リストラ

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同族企業に勤めるということはそれなりにリスクが大きいです。

30代 女性 みみみみっちー さん 2012年春。の経験
2012年の春に6年8ヶ月勤務した会社を退職しました。いわゆるリストラです。地方の小さな事務用品・事務機器販売店で従業員は社員・パートさん入れても4人でしたが、歴史はあり、地元では名の知れた会社でした。しかし、社長が不慮の事故で亡くなり、その後、奥さんが社長に就任して何とか持ちこたえていましたが、当時大学生になる息子さんは公務員になりたい、とのことで、まったく後を継ぐ意思がなかったそうです。奥さんの代できっと会社を閉めるのだろうな、という予感はしていましたが、2012年の3月に突然会社を閉めるので、次の就職先を探して下さい、と言われました。理由は会社と建物が繋がっている自宅の老朽化と、それほど利益が出ていないこと、であり、借金がかさまないうちに商売をやめて、各仕入先に払っている保証金を取り戻し、それを元手にして自宅の改修をしたい、とのことでした。会社を閉める、ということを聞いていましたが、販売した事務機器のアフターフォローを考えるとそう簡単には閉めれない業種なので、会社に出入りしていた、1人で会社を立ち上げ、OA機器販売をしている人が社長が、自分がこの会社をやってもいい、という話になったそうです。その代わり、社員を1人リストラする、ということで、会社は存続したようです。創業家からの個人的な資金でなんとかやりくりしていたような会社なので、今はどういう形態なのかは知りませんが、同族企業は創業家の都合で振り回されます。地方の事務用品販売店は家族中心に地元の人をパートさんで雇って、血縁関係のない社員を1人2人雇っている所が多いですが、内情はどこもカツカツだと思います。出入りしていた大手文具メーカーの営業さんが、地方の小さな事務用品販売店にはあまり明るい未来はないよ、とある時言っていました。まさにそれを体験しました。事務用品販売店に限らず、従業員数が少ない同族経営の会社に勤める、ということはそれなりにリスクが大きいです。

契約打ち切りの体験

40代 女性 バタバタおばさん さん 2013年の3月頃の経験
私はパソコンの入力業務に就いていました。毎日朝から夕方まで、パソコンで入力業務をしていました。業務量は多かったので大変でした。ですが毎日働いている時に、目標を作って頑張ると楽しくなってきました。そんな自分を見ていてくれる人もいて、とても自分を評価してくれました。ですが子供が病気になり、長期入院になりました。毎日早退をしていると本社の方から、恰好が悪いと契約を切られてしまいました。とても残念でしたが、その後仲間たちがいつ戻ってくるのかと、上司に掛け合ったりしてくれました。戻ることはできませんでしたが、日々コツコツ頑張ると仲間や知識などを学び得ることが出来ます。楽しみや仲間を見つけると、どんな場所でも仕事でも頑張れると思います。

ハローワークの活用で転職へ

30代 女性 みかんのかんずめ さん 2011年4~10月くらいまでハローワークに通っていました。の経験
前職をやめてから、失業保険の給付までの間と失業保険が給付になってからの6か月間、ハローワークや東京しごとセンター、民間の求人サイトへの登録などをし、再就職先を探していました。ハローワークに登録すると、そこでのパソコンを使っての情報の検索をし、気になった案件があれば相談したりしていました。ちょうど時期的に厳しかったのか、ハローワークの方も「今は清掃の仕事でさえも見つからない状況で、結構厳しいんですよね~」なんて話されていました。時間を見つけては、ハローワークに通い、講座に出て履歴書や面接の対応、自己分析について学んだりしました。転職は大変なこともありますが、いろいろと社会の状況や学ことも多かったです。

「失業」という転機

30代 男性 ちゅらうみ さん 2014年1月から現在までの経験
今年の3月まで販売の仕事をしていました。長年の過労が重なり、今年の初めから椎間板ヘルニアを発症。腰と足に激痛が走り、立ち仕事ができる状態でなくなったため、今後の自分自身の体のことも考えて、退職しました。世間一般には「不況なんだから、一度やめたら仕事がない」と言われます。しかし、それはあくまで「ものの見方」だと思うのです。「思考は現実化する」という法則があります。「仕事がない」と思うと仕事は得られにくくなりますし、「仕事は必ずある」という思いで行動すると、頭と体がそのように反応し、仕事を探し始めるのです。私は力仕事系や動き回る仕事はできなくなりましたが、今までの「会社一辺倒」という枠組みが外れて、多くの方々との出会いが増えるようになりました。「会社に勤める」だけが仕事ではない、ということに気が付き始め、「自分のできることをどんどんやっていこう」という思いが強くなりました。人生って、ものの見方しだいでいかようにも変化します。前向きに行動していきましょう。

最悪の失業経験

40代 女性 かっこー さん 2014年の経験
やっとこれだという仕事を見つけて、張り切って出勤したら、同じ部署の私より位の下の女性から、ものすごい意地悪なことをいわれ、嫌な予感がしていたら、その日から毎日執拗な意地悪をされました。意地悪がそのうちイジメに変わっていき、私の上司でさえ、これは嫌がらせではないとかいう始末です。ほとんど毎日頭がおかしくなりそうでしたが、無理して出勤してました。ある日、もうこれ以上やっていけないと退職することにしました。結局この女が私の仕事を得たので、彼女は私を初日から追い出すつもりだったのでしょう。今も精神的ショックで立ち直れません。皆さん、最初の嫌な予感は無視してはいけません。どうしようもなかったら自分が壊れる前に逃げましょう。

後悔しないように

40代 男性 ショッカー さん 体験の時期 2009年頃の経験
私は過去に4回転職していますが後悔していることがあります。転職することによって給料等の金額や労働条件が悪くなりましたが、その中でも前職時は特に劣悪な環境でした。休日出勤しても代休が取得できず、当然ですが給料に対しての上乗せもありません。また平日の残業代も付かないため長時間の労働をしても仕事が遅いからという認識で見られました。その会社はあるイベントによって辞めることになりますが今になって後悔があります。それは前の会社に6年間在職しましたが退職時に自分でつけたタイムカードやシフト表(会社側で作成)を持って退社すべきだったと思っています。入社した会社に対しては愛社精神等を持って仕事をするのがベストですが、そのような会社少ないと思われますので各自において将来に向けて準備されることは大切だと思います。

次なる活躍場所を目指して

30代 男性 秀太 さん 今、現在(2014年11月)のことです。の経験
今年の3月で前職が任期満了となり現在、失業中ですが今回の転職をきっかけに家族との関わり方やこれからの人生で何に一番時間を使おうかと、ゆっくりと考えることができました。確かに今は失業手当と貯金を取り崩しながらの生活ではあり不安が先立ちますが今までの自分を振り返り、これから自分が一番やりたい仕事を探すチャンスと思っています。すでに何社も面接を受け、不採用の通知をもらいましたがこれは縁がなかったのだと割り切り次の求人を探しているところです。自分自身をこれだけ振り返り真剣にこれからの人生について考えらることもありませんでした。必ず自分という人材を求めている人がいるはずと信じ、天職といえる仕事をこの機会に見つけたいと強く思っています。

自分を鍛えるために。

30代 女性 まりりん さん 2014年9月の経験
どんな職場に行ってもそこには人間関係という大きな壁が待ち受けています。自分と意見が合わないひとは山ほどいます。いざこざがいやになって辞めても、また次の職場でおなじようなことがあるわけです。そこで腐ってしまうのか、自分を奮いたたせて乗り越えるのかによってそのあとの自分の生き方まで変わってしまうこともあるのです。何事も石のうえにも三年という言葉があるくらいなので、腰をどっしりと落ち着けて自分を鍛えるつもりで取り組みたいと思います。

会社が倒産して

パソコンを使った雑誌編集をしていました。バブルがはじけて数年して会社が倒産しました。そのころは雑誌社、デザイン会社など真っ先に不況の影響を受けていました。それまではPC98を使っていたので、就職活動に必要と思い、マックの講座を受けたり、スキルアップを図りました。その後ウインドウズが出てきましたが、そのためすんなりとウインドウズに移行することができました。年齢がいっていたので、正社員になるのは無理でしたが、派遣やバイトの仕事は途切れることなくあります。60歳を過ぎていまだに現役で働けるのは、失業するたびにスキルアップを図ってきたからだと思います。
Kobachan(60代女性)
時期:1995年頃

机がなくなってしまいました。

会社で、残業が続いていたので、あるとき、皆体調を悪くしているから、残業を減らして欲しいというようなことを社長に意見をしました。そうしたら、次の日から、提示の時刻になると、課長がそばに来て、早く帰れというようになりました。そういうことが一週間続いたあと、ある朝会社に行ったら、私の机がなくなっていました。とてもびっくりしました。今では、ありえないことだろうと思いますが、当時では、パワハラが結構横行していました。
ピクルス(40代女性) 時期:1990年の4月頃