就労から障害、その後 失業=0ではない!!
「病気になったからこそ、幸せがつかめた」そこまでは言えません。ただそこで得たものに、価値を見いだしてみませんか?私は19歳から1年半ほど、大手アパレル店でアルバイトをしていました。体力があまりないので、週3日、1日4時間ほどを希望していたのですが、従業員の数がギリギリになるにつれ、1日8時間になり、それが週5日になり・・・。気づけばアルバイトではなく、準社員の条件にしなくてはならなくなってきました。金銭面も、対応も保障もしっかりした会社です。学校を中退していた私には、店長からの準社員への誘い、その後店長にまでならないか、という言葉は願ってもないものでした。準社員になったころ、店長の姿が見えず、まだ若い副店長が店長業務をやっていることに気づきました。親身になってくれ、柔らかい物腰で接してくれていた店長のいない期間が約3ヶ月続いたとき、なぜか副店長も休んだ朝のミーティングでエリア長に告げられたのは、店の商品を数十万私用していた店長の懲戒解雇と、店長の穴を埋めていた副店長がストレスから万引きをして捕まり、退社した。その二つでした。新しい店長と副店長が入り、なんとか回り始めた店と私の精神。ですが体は正直でした。治りにくい風邪から吐き気、それらが嘔吐に変わり、最後には血尿。限界が近づいてきたことから目を逸らし、迷いながらも体調が悪いと2回目の早引きを申し入れたとき、副店長に言われた言葉は「なんであんたみたいなのが準社員になれたんだか。やっぱりダメな店長か。あ、明日もこうならいらないから」ああ、もう、無理なのかもしれない。今まで頑張ったのは何のためだったの?それとも頑張りが足りないの?そもそも頑張っていなかったの?次の日私は仕事を休み、数ヶ月後様子がおかしいと連れていかれた病院で診断されたのは、軽度のうつ病と記憶障害でした。従業員の名前や顔、業務内容が頭からすっかり抜け落ちていたのです。入退院を繰り返し休養する中、恨めばいいのか、悲しめばいいのか、分からないまま数年後に障害を抱えながらも結婚でき、主婦になりました。それからです。自分に笑顔、敬語、色彩コーディネイト、ミシンの使い方などが身につていると気づいたのは。主人の実家へ行くとき、ご近所付き合い、洋服の寸法の見方。それらが自然と呼び起こされ、障害を抱えながらも、常識を持ち友好的で知識もあると評価をいただくようになりました。もとはと言えば障害は仕事がキッカケで、無職になったのもそのせいです。けれどもそこで得たものは、使えるものばかり。病気、障害がいいとは言いませんし、言えません。ですがその過程で得たものくらい、財産だと思えば救いがあります。これから就職する方、失業中の方、仕事がうまくいかない方・・・。いいことだらけではありません。ですが、その瞬間得た知識、技術、経験はいずれ役立つものです。まずは足元にある課題に取り組んでみてはいかがでしょう。もちろん、自分の体と心を労りながら。
By アキラ20代女性
時期:2005年頃から1年半就労、4年休養し、2009年頃から知識などに気づく。
By アキラ20代女性
時期:2005年頃から1年半就労、4年休養し、2009年頃から知識などに気づく。