資格取得と就職・転職の体験談

サイトを運用して、体験談を募集していると、時々、どこに掲載しようか困ることがある。内容的に、公序良俗に反しているとか、犯罪を助長しているとか、悪い記事というわけじゃない。だが、ハローワークマップとしては、どこに乗せたらいいのか困るのだ。

 

もったいないので、ここに集めておきます。

 

ヨーロッパ圏内共通試験「ドイツ語ディプロム」合格

オーストリアのウィーンで暮らしていた2010年にチャレンジ。滞在VISAの関係でどうしても、取得しなければならなくなり、受けることになりました。この試験は、総合的に判断されます。会話だけでなくグラマー、リーディング、ヒアリング、Eメール、そして面接とありました。とにかく、ドイツ語の無料サイトでお金を使わず、時間をかけて一生懸命勉強した結果、本当に合格してよかったです。現在も、ドイツ語の勉強は続けています。”勉強”って言っても、ドイツ人にメールを書くことですが。
ROSA40代女性 経験の時期:2010年頃

 

映像翻訳家をめざして勉強中

日本には映像の字幕翻訳家として食べている人はまだ少なく、せっかく日本語も英語も話せるのだから活かせる仕事を将来的に長くしたいと思い勉強中です。今はワーホリでカナダに来ていますので英語力を磨き、帰国字幕翻訳の学校に通う予定です。映画やドラマを面白くするのもつまらなくするのも字幕次第だと思うので、色んな表現をできるようたくさん映画を見たり表現方法を学んでいきたいと思います。いつか自分の翻訳した映画をスクリーンで見れる日が来ると信じてがんばります。
K_VAN20代女性 経験の時期:2015年

 

 

着物の教員免許の資格を取った時の体験

私は着物の専門学校に通っていたのですが、そこで教員免許を取得しました。私が通っていた学校は、着付けから、染め物、日本刺繍、洋裁等、取り分け色々な分野を学ぶ事が出来たのですが、その中でも一番時間をかけて勉強をしたのが和裁でした。和裁は洋裁と違い、袷になると1ミリ単位でずれても全てが合わなくなってしまうので気を使いましたが、資格を取得した今はそれも良い思い出です。一見地味な資格かもしれませんが、自分で教室を開く事も出来るので、いざというときに頼りにしているのです。
By rie-tong30代女性 時期:2002年の3月頃

 

 

ボールペン字講座についての体験

私は元々字上手くなく、その悩みは10年以上続きました。そんな時に某有名の資格を取れる会社の実用ボールペン字講座を見つけ、藁にもすがる思いで受講しました、それまでは自分の名前すら上手く書けない程深刻でしたボールペン字講座は約1年半程でしたかま自分でも手応えが実感出来るほど上達しました無事合格しボールペン字検定2級の資格まで取れましたとにかく覚えかた、分かりかた、全て付きっきりでアドバイスをしてくれ、週1回の添削等今はやっと人並みの字を書けるようになりました
タカユキ(20代男性) 時期:2001年3月から2002年7月頃

 

単身赴任

 

単身赴任の体験談・・・のようです。完結していればいいんだけど・・・途中でやめられてしまった・・・。

 

初めての構造改革−初めての決断
そう、あれは15年前のちょうど桜も咲き始めた今頃、社内に衝撃的な噂が広まった。故郷の山形に就職し、一生この会社で働けると、結婚しマイホームを持って、新しい家族も増えた矢先、8年目の出来事だった。私の所属する事業部全体が、親会社の長野へ統合されるというもの。3年間という長期出張扱いで転勤して欲しいということだった。初めての決断だった。地元に残るため退職した者や転職を考えた者もいた。かく言う私も、後者の1人。しかしながら、不採用。3年間だけならという軽い気持ちで最後に選んだ選択枝は、「単身赴任」。これが後に、人生大波乱の幕開けになるとは、思いもよらなかった。

 

初めての単身移動
黄信号、みんなで転勤すれば怖くない。そんな気持ちで、出発の朝を迎えた。厳冬の雪が吹きすさぶ朝だった。前日に単身荷物を送りだし、今日は自分が家族の車で最寄り駅まで送りだされることに。。。電車の中で、ばったりと他部署の課長と出くわした。構造改革により大半は長野行きだったが、彼は親会社の更に関連子会社への転社、北見行きだった。「よう、今から長野か?これからお互い大変だ。3年間と言われているけど、片道切符にならないといいけどな。。。」と、眉を潜めた冗談交じり、だが彼の曇り顔が今でも忘れられない。確かに、自分が持っている切符は、3年後だから勿論復路が予約できない、正に長野行きの片道切符だった。

 

初めての単身赴任
長野へ到着するなり、親会社の長野工場へ。総務オリエンテーションの後、単身赴任アパートへ引率してもらった。大学時代は寮生活だったので、一人暮らしという感覚はなかった。が、今回ばかりは、全くの一人暮らし。初めてのアパート経験である。勝手が分からない。不安だらけである。当日は山形以上に吹雪の長野、更に気分が滅入った。それを前もって心配して、後追いで妻が引っ越しに駆けつけてくれた。荷物が届き、開梱、配置、ものの見事に1時間で引っ越し完了である。恥ずかしながら、初日に妻が駆けつけてくれたのは、百数十人の単身赴任者の中で自分だけだった。結婚後、初めてかもしれない。妻の愛情に真に感謝である。

 


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